2018年10月28日日曜日

部活

こんにちは。470クルーの三ツ田です。

 

さて、いきなりですが、部活をやって得るものは何かということについて、考えていきたいと思います。

まず、第一に挙がるのは、人のつながりではないでしょうか。特に同期は一番多くの時間を共にし、同じ立場に置かれる関係です。

 

ただ、ここでの関係は単に仲がいいという意味ではなく(もちろん仲がいい人もそれぞれたくさんいますが)、「友達」というよりかは「僚友」といった方がうまく表現できるかもしれません。部活では多くの困難な問題に直面しますし、ささいですが今後忘れないような喜びも経験します。そういったことを一緒に共有していくと、そういった関係は「友達」とは別の意味を持ち始める気がします。

 

人は多面的であるため、ある方面では互いに似た考えを持ち、理解できたとしても、他方面では自分とは全く違う価値観を持っていたりして理解できないこともあります。理解できる、理解できない、あるいは理解していると思っている。相手の立場を想像することは難しいことです。自分が、または他人が、しんどい状況に置かれているとき、情熱をもって何かに取り組んでいるとき、その人が持っている人間性のより深い部分が表出します。そうした部分を認識するということは、価値観が広がりうるということでもあります。自分においても他人においても、そうした部分を認識し理解することは人生において大切なことです。ただここでの理解するということは実感をもって理解するということです。こうして考えていくと、もう一つ得られるものがあります。

人間的な成長、価値観の変化、人格の形成といったたぐいのものです。ただしどういう状況であるとしても本気でということが条件になると思います。本気でというのは情熱をもってということです。情熱とは心の底からこれがしたいという意欲です。情熱をもって何かに取り組むとき、たいていは何らかのずれと障壁が生じます。ずれというのは人とのずれ、社会とのずれ、環境とのずれといったものです。そのずれや障壁を認識したり、ずれを無くそうとしたり、ずれを受け入れたり、障壁を乗り越えようとしたときに、比較的大きな成長の機会を得ることができます。

とはいえ、そんな抽象的な人間的成長のために情熱が生じるかと言われれば、たぶん無理でしょう。そういうものは終わった後で気づくものです。情熱を持つには多くの場合、虚栄心から始まり、人からつたわり、能動的な一歩となり、成功や失敗などの体験をへて、価値づけられ、自身の情熱となります。しかし、かといって全員がすべてにおいて情熱を持てるわけではないし、情熱をもったからと言って結果が報われるわけではありません。しかし、夜と霧という本に、人に残る最後の価値は、直面する状況に対する態度への価値づけだと書いていました。あらゆる状況に対して最後に人が価値づけられるのは、その状況に対してどういう態度をとるかということですが、なかなか難しいのがにんげんですよね。

 

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